2014年6月27日金曜日

ホスピスの午後・・・

先日のホスピスの午後

月1回の定例のピアノ演奏会。


奏者はボランティアの宇佐美美知子さん

「おぼろ月夜」「ムーンリバー」「夏の思い出」と続きます・・・

一方、ラウンジの隅からは、かすかに、ジャラジャラという音が・・・

何でしょう?


ラウンジの傍の部屋では、患者さん2人とボランティアがマージャンに熱中。

皆さん、思い思いに、その人らしく、日常生活を送っています。

1999年の「ターミナルケア」誌(現在は「緩和ケア」誌)の特集「ホスピスボランティア導入のために」で「病院で死ぬということ」の著者の山崎章郎先生がこんな記事を書いています。以下、抜粋
「ホスピスの専門スタッフだけで患者の日常サポートはできるか。これはもちろんできないというべきだろう。ホスピスの医療スタッフは患者の身体的苦痛に耳を傾け、共にその苦悩の解決を考えたり、患者がその苦悩から抜け出すまでお付き合いすることはできる。ご家族の悩みや不安を聞いたり、疑問に思っていることの一つひとつに誠実に答えていくこともできる。ソーシャルワーカーは患者・家族の経済的、社会的な悩みに適切な道筋を見つけるかもしれないし、宗教者は死後の世界の問題や魂の問題に示唆を与えることができるかもしれない。
 しかし、患者・家族は一日中それらの問題に悩み、苦しんでいるのではない。適切なケアが行われていれば、ホスピスで過ごすほとんどの時間は日常生活の繰り返しなのである。言い換えれば、患者は一日中患者でいるわけではないし、家族は一日中患者の家族ではないのである。その時、その時を大切に暮らす人々なのである。前述したようにその日常生活こそが、病を得る前の日常生活とは意味も価値も違った、実に重要で愛くるしい日々になるのである。
 そうであればこそ、ホスピスの日常は穏やかで、家庭的であり、温かで、豊かなものであってほしいと願うことは、患者・家族のみならずホスピスケアに携わるものにとっても共通の思いであろう。ホスピスケアは患者と家族が可能な限り快適に人間らしく生活できるように提供されるのである」

日常生活の繰り返し、一日中患者さんではないんです。そんな皆さんの生活を大事にしていきたいと思います。